株式会社エアロスペース CEO
川久保文佳
私はSAKEPAⓇという日本酒の蔵を応援する団体を運営している川久保文佳です。
日本独自の製造方法を有する文化的で価値が高い酒蔵がどんどん減っていっています。SAKEPAⓇではそんな日本酒の酒蔵が伝統を守り伝えながら、味わいや技術を後世に引き継げるようさまざまなプロモーションやイベントを行っています。
今回ご紹介する岩瀬酒造の創業は、享保8年(1723年)と伝えられています。代々当主が副業をしながら、受け継がれてきたそうです。大正時代より本格的に酒造りに力を入れて、昭和22年全国清酒鑑評会で首席を受賞したこともあります。
現在の代表の岩瀬能和氏は、11代目蔵元になります。先代の禎之氏(故人)は写真家でありながら、蔵元でもありました。戦前から海女の写真を撮り続け、毎日新聞社主催の展覧会で「総理大臣賞」を受賞したこともあります(代表作:写真集「海女の群像」)。
御宿と岩瀬酒造のお話
岩瀬酒造と地域には逸話があります。会長の庄野様に敷地内を案内していただきました。茅葺き屋根の母屋の梁は、慶長14年(1609年)に御宿沖で難破したサン・フランシスコ号の帆柱が使われています。
それは、その年に一隻のガレオン船が御宿沖で座礁し、多数の乗組員が浜に漂着したことに由来します。その船名は「サン・フランシスコ号」です。フィリピンの臨時総督の任務を終えたドン・ロドリゴを長とする総数373名は、フィリピンからノビスパン(スペイン領メキシコ)へ向かう途中でした。その途中で流されてこの地にたどり着いたのです。いたましくも56名が命を落としましたが、残る317名は岩和田(現・御宿町)村民に救助されました。このとき村人は大いに同情し、凍えた異国の遭難者を海女たちは温め蘇生させ、夫の着物や、食糧を惜しみなく提供したと伝えられ、これが日本とスペイン・メキシコの修好の契機となったそうです。
岩瀬酒造へは車で向かいました。御宿は初めてで、海がとても近い酒蔵でした。蔵から10分ほどの所には「月の沙漠」と命名された御宿海岸が拡がっています。