株式会社カクシン
代表取締役 公認会計士
長山 宏

今回は、「奇跡のコース」における重要な概念である「特別な関係」についてご説明します。また、これと相対する概念である「神聖な関係」についてもご説明します。
特別な関係の根底には、人が抱える罪悪感があります。罪悪感を水筒の水に例えると、人は罪悪感を見たくないために水筒の栓を閉め、水が見えない状態をつくろうとします。
栓が完全に閉まっていれば罪悪感を感じずにいられますが、栓が閉まりきらなくなると、水筒のなかの罪悪感が姿を見せるようになります。すると、罪悪感が人と人との関係性に影響を及ぼすようになります。それが特別な関係です。
特別な関係には、「特別な愛の関係」と「特別な憎悪の関係」の2つがありますので、順番に説明をしていきます。

特別な愛の関係

特別な愛の関係とは、特別な関係の一種であり、恋愛関係から結婚して、夫婦生活で起こる関係を示しています。この関係においては、人が相手を神の代用として捉えていることが特徴です。
もともとこの世界は存在せず、神の住む天国が全てであり、あらゆるものが愛と智識に満ちた完璧なワンネス(oneness)の状態でした。
そこに「誤った・狂った考え方」が忍び込み、「自分は神を超えたい」「特別な存在でありたい」という幻想が生じました。そしてそれが深刻になり、神の住む天国から分離が起きて、エゴが幻想の世界をつくり、それが何十億人の人間や動植物の生命、この宇宙をつくり出しました。「奇跡のコース」においては、これは分離の信念により描かれている、幻想と捉えられています。
特別な愛の関係は、エゴが神をないがしろにして神を追い出したことが原因で生じました。神のいない空虚感を埋め、神の代用となり得る「自分にない理想の偶像」として、異性と愛の関係をつくります。それを恋愛だと捉えます。そして恋愛が実ると、結婚して家庭をつくります。
そもそも、特別な愛の関係は、罪悪感を見ないようにするためにつくられた神の代用ですから、それがそのまま長く続くわけがありません。結婚当初は甘い関係だったものが、2~3年経つと現実的になり、水筒の栓に隙間ができるように、罪悪感が顔を出してきます。
恋愛時代は魔法にかかっていたような状態でしたが、現実の生活に慣れてくるとお互いに相手の欠点が見えてきて、罪悪感が互いに悪さをし始めます。真逆の性格の2人が一緒になっているために、正気になるといろいろと欠点が目についてきます。

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