ひかり税理士法人 代表社員 税理士 光田周史
代表社員 税理士 谷 淳司

関東圏から北九州地区まで、全国9つの支店事務所を展開し、さらなる拡大を目指すひかり税理士法人(京都市)。この広域展開の戦略的柱となるのが、他士業法人との連携によって構成されたプロフェッショナル集団「ひかりアドバイザーグループ」だ。税理士法人を核に、司法書士法人、行政書士法人、監査法人、社会保険労務士法人、経営コンサルティング会社、資産コンサルティング会社、遺言コンサルティング会社など、さまざまな専門家が同じブランドのもとに集うことで、あらゆるニーズに応えられるワンストップ体制を構築している。グループ法人として、単なる士業間の提携による一般的なワンストップとは一線を画す。今回の取材では、そのワンストップ体制の構築と戦略的広域展開について、ひかり税理士法人の代表社員である光田周史氏(写真右)と谷 淳司氏(同左)にお話を伺った。

広域展開を進めるひかりアドバイザーグループ

―― ひかりアドバイザーグループの母体である ひかり税理士法人は現在、京都、滋賀、大阪、広島、福岡、東京、高崎、埼玉など、全国9拠点で事務所を展開されています。本日は、その広域展開の事業戦略について、光田代表と谷代表にお話を伺います。まずは、ひかり税理士法人の沿革からお聞かせいただけますか。

光田 私が会計士になったのは、やはり税理士だった父の影響が強いと思います。大学4年の就活時期に消去法でこの業界を選んだのですが、税理士ではなく、会計士を目指すことにしたのは、父に対抗心を燃やしてのことでした。
それから猛勉強をすること2年半、晴れて会計士の資格を取得し、大阪の中堅監査法人に入りました。そこで5年間さまざまな経験を積み、父の事務所に戻ったのですが、父との二人三脚は3年ともちませんでした。「税理士業は先生業」だとする父の昔気質な考え方と、「税理士はサービス業」だと考える私の経営方針が、真っ向から対立したのです。話し合いの末、支店という形で独立することになり、昭和63年、京都市内に10坪の事務所を借りました。それが、現在のひかり税理士法人の原点になります。
法人化したのは平成15年で、当時、父が長岡京市に構えていた事務所と、私の京都事務所の2事務所体制でスタートしました。

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